いや〜、オリンピックですねー、終戦の日ですねー、めでたいですねー、でもグルジアで戦争起きちゃってますねー、めでたくないですねー。

さて、一昔前は読むためというより単にマイホームの本棚を飾る装飾品として一定の需要があったんだろうと推測される文学全集。今では古本屋で叩き売りされてますね。それを見るにつけ、今後新たに文学全集が刊行されることはないんじゃないかと思ってましたが、某出版社がやってくれております。このご時世に世界文学全集です。めでたいですねー。

全24巻で、今9巻まで出ているようです。で、私は今たまたま8巻目を読んでいまして、これが素晴らしいので紹介します。

アフリカの日々/やし酒飲み (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-8)

アフリカの日々/やし酒飲み (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-8)

ケニアで農園を経営していたデンマーク人女性作家のディネセンが書いた『アフリカの日々』(原著1937年)と、ナイジェリア人作家チュツオーラが書いた『やし酒飲み』(原著1952年)の2作品が収録されてます。前者は紀行文学といいますか、自信のケニアでの体験を綴った感じなのですが、植民者という自分の立場を自覚しながらアフリカの風景や民族を全てを肯定する、でもそんなことはできない、でも肯定する、でも・・・、というような微妙な曲線が行間から滲み出ていてぐっときます。でもって文章がクール。たとえば、農園の経営が行き詰まってもうケニアから離れなければならなくなったときに道で原住民の老女に会うというシーンがあるのですが、このくだりがすごい。

つまりこの人は住みなれた小屋をたたみ、その材料をそっくり引きずって、新しい土地に移動するところなのだ。道で出会うと彼女はじっと立ちどまり、私の行くてをふさいで、こちらの顔をまじまじと見つめた。平原でキリンの群れに行きあったとき、そのなかの一頭がおなじようにして私を見つめることがある。どちらも、私の考えおよばない暮らしかた、感じかた、考えかたをもっている。やがてこの老女は泣きだした。頬をつたって涙が流れる。平原にいる雌牛が、眼のまえで突然放尿するのに似ていた。老女も私も、一言も言葉をかわさなかった。しばらくすると彼女は私に道をゆずり、二人は別れて、それぞれ逆の方向に歩いていった。ともかくあの人は、新しく家をたてる材料を持っているのだ、と私は思った。


ク〜ル。
『やし酒飲み』の方はというと原著は英語で書かれたそうで、発表当時にそのめちゃくちゃな英語と魔術的な世界で話題になったらしいです。われわれBARRELDRUNKERSとしてはこの小説の冒頭に嫉妬を覚えずにはいられません。

わたしは、十になった子供の頃から、やし酒飲みだった。わたしの生活は、やし酒を飲むこと以外には何もすることのない毎日でした。

で、そんな生活ができたのは毎日大量のやし酒をつくる職人がいたからなのですが、この職人がある日死んでしまい、主人公はやし酒が飲めなくなる。飲めないのは困るので、この職人を探しに行く。死んでるのに。でもいいのです。「この世で死んだ人は、みんなすぐに天国へは行かないで、この世のどこかに住んでいるものだ」という言い伝えがあるのです。それでもうとんでもない冒険が繰り広げられるわけです。精神分析みたいなものと変に親和性の高い幻想文学みたいなものってどこか陰湿というかセコい感じが否めないんですが、これはもうひたすら魔術なのでおすすめです。


夏はビールとやっことアフリカ文学で。

(K記者)