シークレット・オブ・ベッドルーム

シークレット・オブ・ベッドルーム

酒で払いのけた不安が、次の日の朝には絶望となって枕元に現れる──そんなことを毎週のように繰り返してる人間にはぜひともな内容。つまりグツグツに酒で煮込まれた脳みそにはたまらない言葉が続きます。まぁ僕もそんなひとりではありますが。アーヴィン・ウェルシュの邦訳では目下のところの新作『シークレット・オブ・ザ・ベッドルーム』は、大酒飲みは間違いなく読んでみるべきで、もしくは大酒飲みのメンタルがわからない人は読んでみた方が良いかもしれない。だけど、そんな糞の役にもたちゃあしないメンタルを理解できたからといって、毎週末のように泥酔して仲間同士の他愛もない下らない話ばかりを壊れたおもちゃのように繰り返して、日曜の午後を二日酔いと寝不足でまったく駄目にするような人間を許せるようになるとは思わないし、むしろ嫌いになるかもしれない。
とはいえ、そこにあるのは酒飲み同士のなれ合いの傷のなめ合いでも、アル中を抑制する啓蒙的なメッセージでもない。そこにあるのは最後も含めてものすごいテンションの低い絶望であります。とはいえ、そんな絶望で這い回ることはある種の快楽でもあるわけで。
そのテンションの低い絶望は例えば野坂昭如の初期の小説(国書刊行会から5年ほど前に復刊された一連のシリーズあたり)に近い。なので最近の小説にありがちなお涙頂戴ものにはまったくなってない部分がグッと来ますね。男騒ぎのなかのものすごい低いテンションの絶望。これであります。
ウェルシュといえば渋谷系なオシャレ映画として日本でヒットした『トレインスポッティング』の原作者ですが、映画も小説も冷静にしっかりと読んで観ると年齢もいまのほうが変な色眼鏡がなくおもしろいですね。まぁ、あのヘロインの話がアル中になってさらに年齢の分と時代の分だけ、こっちの方が絶望的になったつう感じでしょうか。

舞台はスコットランドエディンバラ
母子家庭に生まれ、女にモテ、スマートに仕事をこなすが、豪快に週末はスッテンテンになるまで飲み明かす泥酔系のダニーと、両親の愛に包まれて育ち、スタートレッカーでおたく、趣味は山歩きのDTで家庭でもちろん良い子ちゃんのキビーの2人を軸に繰り広げられるわけではありますが、ひょんなことからふたりの人生がミックスされていくこの話。UKの労働者階級特有のパブ文化とサッカー、適度なドラッグのなかでのたうち回る姿をスピード感を持って描いているダニーの部分と、ごく普通の家庭の裏側に高い湿度でへばりつく危うい予感がじわじわと襲ってくるキビーの部分が小気味良く、いつの間にか接点をもっていくわけであります。

物語のカギを握るダニーの失われた父親の存在が、ある意味でオカルトというか、運命やら因果的な話でじょじょにふたりを近づけるわけでありますが、その部分もお涙なしというよりも「え〜」って感じであんまりありがたみがないわけで、人生の間抜け美的な部分を上手い具合にチリチリと出しております。

 アル中の話なら、前にいくつも聞いたことがあった。裏切りの話。母親や父親、恋人、そして友人から受け続けた虐待の話。どれをとっても根本的には同じ話ばかりだった。愛、友情、金を失った苦い物語だ。そしたらその物語には、いつも明るい未来へと続く夢想的な計画がついて回る。もちろん、次の一杯を飲んだあとで実行に移される計画が。
 一日は笑いと歌の中で過ぎてゆく……。
 しばらくすると飲んだくれは、同じ悲しい物語を何度も何度も繰り返して話す、巨大なウィスキーグラスになる。酒が持つ声はたったひとつ。それが誰であろうとまったく関係ない。普通の酔っぱらいみたいにうなりださせることもなく、本人の声の調子を借りて語るのだ。そしてグラスは責任なんてとってくれず、ただじっとそこに置かれ、また中身を注がれる。──アーヴィン・ウェルシュ著/田内志門訳『シークレット・オブ・ザ・ベッドルーム』

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